妊娠ダイアリー

2019年10月頃に出産することになりそうです。

妊娠判明の日のこと

「生理 来そうで来ない」「PMS 妊娠初期症状」みたいな検索ワードで出てきたクオリティの低い記事や憶測まみれのYahoo!知恵袋に辟易しながらも、読みまくらずにはいられない日々を何日か過ごしていた。

子供を持ってもいいかなと思いはじめ、また行動にも移しはじめた矢先のことだ。何日も、生理が来そうで来ない。他に感じるのは、下腹部の鈍い痛みと、上品な胃もたれ。時折、激しい倦怠感に襲われることもあり、会社の休憩時間に散歩に出たときに、もうこのまま家に帰るというか何もかもやめて失踪してしまいたいと半ば本気で思ったりした。ただ、これらは生理前によくある出来事で、たとえば吐き気(いわゆる「つわり」)や微熱、眠気のような、初心者でもはっきりわかりそうな兆候はなかった。それでも、客観的な事実として、生理が数日遅れはじめた。翌日に飲み会を控えた平日、妊娠の可能性もないわけではないのだからと、妊娠検査薬を使うことにした。

検査薬は2本セットで880円。近くの薬局にはそれ以外の選択肢がなかった。「14才の母」には志田未来が検査薬を万引きするシーンがある。それを16才くらいの頃に見た私は、ああいうものは中学生には手が届かない程度の値段、すなわちだいたい1200円くらいするのだろうとなぜか思ってきた。だから1本あたり440円というのは良心的に感じた。今思えば、志田未来が万引きした理由はお金ではなく、妊娠がばれる恐怖だったわけだけれど。私は14才じゃなくて29才で結婚もしているけれど、志田未来の気持ちの一部分はわかるような気がする。検査薬を単体でレジに持って行くのはどうしても恥ずかしくて、適当な洗剤もカゴに入れ、レジでは必要以上にはきはきと会計を済ませた。

自宅でひとり、尿をかけた検査薬を見つめていると、妊娠の判定が出る窓にじわじわと淡い色あいの線が浮かんだ。漫画とかで見るほどはっきりとした線が入ったわけでもなく、まだ何か変わるかもと思いながらさらに見つめたが、その状態が完全に固定された。色が薄いのは、おそらく検査の時期が早いから(本来であれば、生理が来るはずの日から一週間後に調べなさい、と説明書にあった)。濃淡に関わらず、線が出ているのであれば、妊娠は成立しているらしい。「まじかよ」と思った。

「まじかよ」にもいくつか段階と意味があって、まずは純粋な驚き。明確な理由があったわけではないが、自分たちはそう簡単に子供を持てないだろうと思い込んでいた。不妊治療はどこまでするべきか、痛いんだろうか、いつ治療をあきらめて「子供を持たない」と決めようか、というようなことばかりを考えていた。だから、いわゆる妊活を始めたらすぐ妊娠して、なんだか拍子抜けしてしまったのだ。

追って、戸惑い。「どうしても子供がほしい」と思ったことがこれまでなく、子供に対して「いてもいいし、いなくてもいい」適度の熱意でずっと生きてきた。自分の子供とはいえ、会ったこともない人間に会いたがる人の心境がわからないくらいだった。出産可能な年齢で結婚することになったので、「せっかくならば」と妊娠を試みることにしたが、子供を切望するような感情にはならなかった。そういうテンションでいたからなのか、妊娠がわかっても、「泣いて喜ぶ」どころか「嬉しい」とも思わなかった。さらには妊婦さんのブログなどでよく見る「嬉しいと思えず我が子に申し訳ない」といった心境にさえならなかった。嫌とか困るとか妊娠やめたいとかは思わない。でもプラスの感情がわき上がることも、まずはなかった。

とりあえず現実的に考えることにして、近所の産婦人科や現在の週数(妊娠の世界では「妊娠何ヶ月」ではなく「妊娠何週」と言うことが多い。妊娠中の十ヶ月間で母子の様子はどんどん変わっていくので、月単位だと変化を説明しきれないからだ)を調べ、メジャーな妊婦用アプリをインストールした。アプリから、胎児に必ず名前をつけろと指示されたので、「あ」と入力した。

ふと、「予定日っていつくらいになるんだろう」と思った。アプリが出した日にちは初秋のある日で、夫の誕生日の数日後。さらに私の誕生日のひと月ほど前だった。

「うちはみんな秋生まれの家族になるんだな」と思ったと同時に、わっと涙が出た。それは、この十数分間、自分のものだと思っていた「妊娠」というできごとが、生まれてくる子供の人格や、自分たち家族に結びついた瞬間だった。自分が向かおうとしている未来の輪郭がうっすら見えた気がして、プリミティブな感慨が襲ってきて処理できなくなった。あとから、じわじわと嬉しい気持ちが追いかけてきた。

帰ってきた夫に妊娠の報告をしたのは、しばらく泣いたあとに「さすがに社会人の生活に戻らねば」と思って弁当箱を洗い、アプリを見たり著名人の妊娠ブログを読んだりしてだいぶ気持ちが落ち着いた頃だった。妊娠のことを話し合いながら、「昨日までは一度も考えたことがなかったのに、今から死ぬまで、私たちが子供のことを考えない日はもう来ないんだろうな」と思った。妊娠する前から、子供を作るというのは一生取り返しのつかないことをするということなんだぞ、とずっと思ってきた。でも、妊娠してみて、その実感はそこまで重いものではなく、かといって幸せそのものというわけでもなく、まあそうなるわな、なんか不思議だけど、と、自然に受け止められるものだった。そうして眠りに就いた。

翌日の飲み会ではウーロン茶を頼み、カプレーゼを断った。帰り道で葉酸のサプリを買い、また妊娠アプリで「あ」が話すせりふを読んで、眠った。妊娠がわかってから何度か寝たり起きたりしたが、妊娠したことを忘れた瞬間はない。

まださほど「幸せ」とか思わないし、そもそも医者にも行っていないし、無事に妊娠を継続できるかもわからない。陽性だった検査薬と腹痛と、一向に始まらない生理しか、妊娠を感じられる材料がない。それでもこのできごとを残しておきたくて書いた。妊娠が判明したという、それだけのことだが、私には怒濤の経験だった。この先、秋生まれの「あ」に会えたら本当に嬉しいし、会えなかったとしても「あ」との邂逅を忘れることはないだろう。いつか、あの日に見えた未来にたどり着けたらいいなと今は思っている。